流浪人拳士のつぶやき日記(仮)(旧意拳修養拳学舎)

資料研究

道新拳論148

今回は、道新拳論148

以下

上述の比較をつぶさに見ると、兵器の、戦場を長い期間経た招数は、刺す、断つ、押し上げる、ずらす、などの簡単なもののみに過ぎない。

複雑な招式を説く必要がないのは、この簡単なものも刻苦磨練しなければならず、初めて掌握することができる。

重要なのは、運用中に、精神と気力を兵器に貫くことであり、兵器と身体を一体と融合させることである。
まるで、自分の手腕の延長である

手が器を忘れ、器が手を忘れるに到達すれは、運用操縦二つは、互いに知らない境界である。
拳術のレベルの向上は、兵器の運用を助け、しかして兵器の操習レベルの進歩は、また拳術技撃の飛躍を促すことができる。

以上

今回で、道新拳論については、すべて終了になります。

兵器のまとめにもなります。
おそらくは拳術とも同じだと思いますが、やたらと複雑な動作を身に着けるというよりは、基本的な動作を身に着けることが必要で、招式や套路などを重んじてはいないということになるのかなと思います。

最後は、精神と気力を兵器に貫くことであるということで、ちょっと精神論かなとも思いますが、結局はその辺りが重要な点なのかもしれませんね。

また、兵器の向上は、拳術の向上にもつながるということも述べてあります。
拳術である程度の基礎を得たなら、兵器の練習を行うこともプラスになるのかもしれませんね。

お約束していた通り、この道新拳論の訳までは一応やり遂げました。

今後、何かしらの資料を訳すかどうかはわかりませんが、これもお約束の通り、このブログは閉鎖せずに残しておきますので、何らかのお役に立てていただければ幸いです。

お付き合いありがとうございました。

資料研究

道新拳論147

今回は、道新拳論147ということで書いてみたいと思います。

以下

但し、兵器の使用は拳脚のところに及びもしない。
兵刃は、人体運動の一つ身の外のものであるからである。

その、持ち上げ、手に取り、運用し、引き寄せるのは、空手の便利自在には及ばない。
ゆえに、兵器の練習と応用は、拳術よりはるかに難しい。

他に、近接距離の戦闘中に、いくつかの兵器は、すなわち、効能を発揮するのが難しい。

以上

今回の箇所は、兵器の扱いの難しさについて書かれています。
特に難しいところはないと思いますが、徒手よりもはるかに技術的に難しいのは当然のことです。

また、近接距離になると一般的には、効力を発揮するのが難しくなります。

昔の故事では、あまり兵器を操ったことのない拳士が、勝負の場面で「拳と兵器の理は同じです。」と拳と同じく巧みに兵器を操る話などもありますが、やはり兵器を触ったこともないような人が、拳と同じようにその場で効果を発揮するのは難しいのではないかと思われます。

資料研究

道新拳論146

今回は、道新拳論146ということで書いてみたいと思います。

以下
兵器の威力は、拳脚よりも大きい。
その原因は、兵器はさらに大きな打撃空間範囲があり、とても高い硬度があり、そして、極めて小さな接触面積に力量を集中させる。
というのがある。

他に、てこの原理より、兵器の末端は、高めの速度を備えている。
それによって、振り回し突き刺す衝撃力を増加する。

以上
今回の箇所は武器の特性について書かれています。

一般的に兵器は、徒手よりも威力が大きくなります。
それは、打撃できる距離が延びますし、硬さもありますし、極めて小さい面積に力を集中させることができるからです。
また、てこの原理を使って、速さや威力を高めることもできます。

この辺りのことは、なんとなく理解ができますね。

資料研究

道新拳論145

今回は、道新拳論145ということで書いてみたいと思います。

以下

兵器の種類はとても多く、昔“十八般兵刃”の説があった。
但し、実際の種類は、はるかにこれにとどまらない。

一般に、長兵(槍、棒)、短兵(刀、剣)、超短兵(匕首)、軟兵(鞭)、と抛射兵刃(弓箭)などにまとめる。

これらはみな、鋭い、あるいは先のとがった金属物を配合した長い竿、あるいは、グリップ形状の木物質で構成するところのもの由来に他ならない。

ゆえに、ただ、一、二種の兵器に習熟しさえすれば、他のものは、みな一を知って十を知るように類推することができる。

以上
人類の歴史の中では、多くの兵器が考案製造されてきました。
十八般兵刃という言葉があり、多くの兵器があることを表していましたが、実際ははるかに多いということが述べられています。
ただ、原理はよく似たものが多いので、すべての兵器に習熟しなくても、一、二種の兵器に習熟すれば他のものは、それを応用して類推することができるということですね。

資料研究

道新拳論144

今回は、道新拳論144ということで書いてみたいと思います。

以下

後世は、はては、兵刃を捨ててしまって、顧みない。
わずかに、拳を学ぶのみである。

近代になってやっと、世に流行するのは、套路(型)であり、兵器の実戦用法は極めて珍しく貴い。

我々は、これに対する以上、学習を進行し、徹底して本末と実質を見極めなければならない。

以上
趙道新先生の生きた時代であっても、すでに兵器訓練というのは、形だけになり、拳術のみを学ぶことが主流になったことが述べられています。
また、型としては存在するが、実戦用法はもはや希少なものになっていったということのようです。

学習をする上では、後の人は、本質的な見極めを迫られるということになりそうです。

  1 2 3 4 5..  次の5件>>