このことは何度となくブログやメルマガでも書いてきたことなのですが、おかげさまで生徒さんたちにはある程度、納得の上理解してもらえるようになって来ています。
まあ、でも自説を納得させたいわけではなく、今そうしないと話が通じなくなってきているからですね。
私は今の闘う技術を大きく分けて、3つに分けなければならないと思っています。
順は不同で構わないのですが
1.武術
2.格闘技
3. 武道
もちろん、これはこの通りの分け方でなくてもいいのですし、もっと違った見解があるとも思います。
これらは一緒くたにされることがあり、実際に過去には一つだったこともあるのかもしれませんが、今や大きく意味合いを変えているように思います。
まず、下から武道とは、武士道のことを短縮した言葉であり、実のところ武士としての生き方であります。
柔道の嘉納治五郎の時代に、武士道をメインに、それに武術を加えて武道と呼ぶに至ったといわれています。
ですので、武士の生き方をしていなければ武術である柔術、剣術を納めても武道とは呼べないという理屈になります。
昔は、武術をやっていて、武士道も志している人が多かったのもあり、「武道をやっています。」と言える人もいたと思いますが、現代でそれほど武士道を意識している人も中にはいるかもしれませんが、まず少ないのではないかと思います。
そして武術ですが、これは古来より伝えられたる戦いの術です。
術という名がつくとおり、ただの力任せで相手を制するのではなく、特別な方法で敵を制するものです。
重い武器を軽く扱ったり、小さなものが、大きなものと闘って勝てるような特殊な身体操作を行うものです。
格闘技というのは、まさしく格闘をする技で、現代では筋肉を手っ取り早く鍛えて、肉体をぶつけ合うようなものです。
とりあえず筋パワーをつければ難しい身体操作はあまり必要としないものです。
昔日の日本では、ひょっとした武術=格闘技だった時もあるのかもしれませんが、今は随分差があると思いますね。
これらの区別がついている人とついていない人の見る視点というのは、やはり技の見方から違ってきます。
それは意拳のみならず、居合いをやっている中でも度々感じます。
中には、武術として動作自体を工夫するべき場合でも、「筋肉が足りないからだ。」と安易に筋トレに走ってしまう人がすでに指導者レベルでも出てきているのが現状ですね。
私がこのようなことを提唱するのは、やはり同じく武術をたしなみ、楽しむには見る目を養って、本当に身に着けるべきことは何なのか?ということを知って、そこに時間を費やすべきだと思うからですね。
そうしないと、せっかく練習している武術が上達どころか下達してしまいかねないと思います。
いろいろ異論はあるかと思いますが、私は武を語るにあたり、少なくても指導者レベルでは、このようなことは知っておいた方がよろしいかと思いますね。

